苦雪のブログ

本やゲーム・映画についての感想を備忘録代わりに時折書きます。基本敬称略。

阿津川辰海『蒼海館の殺人』

 

 2021年2月に刊行された阿津川辰海『蒼海館の殺人』(講談社、2021年)*1

 前作『紅蓮館の殺人』後の、葛城・田所ペアの話が、前作以上のボリュームを持って登場することとなった。

 その上で、本作に対する評価だが……、「本作単体としては、優れて技巧的に組み立てられ、前作を承けたストーリーとしても成立しているものの、登場人物の描写の一貫性としては問題があり、この点ではシリーズものとして見ても疑問多し」。相変わらずこの作者(阿津川辰海)は技巧的だと思う反面、見過ごせない点もあった。言い換えれば、本作単体として見れば優れているものの、シリーズものとしては疑問符がつく箇所があった。

 

 

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阿津川辰海『蒼海館の殺人』(講談社、2021年)

 

 

 ここから本作ならびに前作『紅蓮館の殺人』に関するネタバレあり。注意を。

 

 

 

 さて、まずは本作単体としての話。大型台風により河川が叛乱を起こし、屋敷全体が水没していく中での殺人事件の解決と、前作の出来事から立ち直る葛城(輝義。以下、特に断りがない限り、葛城と言う場合、葛城輝義のことを指す)。この部分は概ね成功していると言えるだろう。

 葛城との距離感を測りかねる田所に対して、一族の中で唯一親切そうに見える葛城正。冒頭で作者は技巧的と言ったが、阿津川辰海は読者が登場人物に対して抱く印象の良し悪しの配分(あるいは操作)というものが上手い。初見の「この人は(周りと比べて相対的に)いい人そう……だけど?」という感じの塩梅に長けている。視点人物の田所も含めて、その辺の手がかりの配置とか読者への配慮というのが親切かつ丁寧な部類の作家だと思う。

 事件全体の真相としての「葛城正の計画的犯行」というのも概ね納得できる。水害がコントロールされていたというのは却って肯定的に解せる。田所・梓月兄弟と対比的に描かれた形の、葛城輝義・正の関係。少々「家族だからこそ分かる」的な論理を説得に用いすぎているけらいはあるものの、葛城正の立てた計画とそれを見破る輝義については文句はない。

 

 物語上も、前作のことを引きずる葛城・田所の再生の話として成立していると考える。「探偵としての葛城の再生」を望む田所、小説のような言葉で自分を語るな、「僕を物語にするな」(273ページ)と叫ぶ葛城、両者を一歩引いた視点で見る三谷。中盤までの(人によっては「長すぎる」)溜めは、私は「若者(あるいは傷ついた人間)とは案外こういうものだ」と好意的に見ていた。

 そんな葛城が、純然たる人助け(それも必ずしも善人とはいい難い存在)を通して、探偵=ヒーロー(372、523ページ)として自らを再定位しようとするまでの物語として、『蒼海館』は成り立っていると思う。今まで「解いた後」のことを考えていなかった(371ページ)葛城が己を省み、家族に真摯に向き合った末、「敵(蜘蛛)」に打ち克ち、前作では半ば苦し紛れだった「それでも謎を解くことしかできない」というセリフを今度は前向きに言えるようになったというのは(624ページ)、続編として及第点以上だろう。

 

 

 しかし、ここからは不満点、あるいは前作からの続きとして見た場合の疑問点である。

 作中の後半(第5部)、葛城家(と田所・梓月)らの対話が行われる。最初から頻出していた「ホームドラマ」という言葉が、ここからは一転して肯定的に扱われるようになる(そしてそれすら「蜘蛛」の計画だったのだが)。

 ただこの一連のホームドラマ、評価し難い。というのも、良く言えば、しっかりと絡み合った糸を解きほぐし和解を描けている。悪く言えば、「所詮、和解できる程度の確執でしかない」のだ。

 「和解できる程度の確執」と書いてあれば、いかにも酷と思うかもしれない。しかし、前作『紅蓮館の殺人』においては葛城の「嘘を嫌う体質」をはじめ、葛城の探偵としてのバックボーンにはその家族との確執が横たわっていることが如実に示されていた。

 その点、本作冒頭から田所の目を通して描かれた葛城家は、たしかにある程度は納得のいくものであった(例えば、意図的にできすぎたホームドラマを演じている節がある家族(87ページ)など)。あるいは輝義とミチルの確執の原因、これも幼少期のことであるが故、余計こじれるというのは分かる。

 しかし、河川氾濫による浸水・水没、事件の始まる辺りならばともかく、第5部の対話篇で描かれた葛城家の姿は、所詮どこにでもいる程度の家族(まさしくホームドラマの家族)になっていはしまいか。

 健治朗が田所と三谷を犯人扱いし始めるや否や(216ページ)、阿吽の呼吸で家族全員が結託し始める(236ページ)。確かにそんな家族なら、葛城がああなるのも納得がいく。ましてやその後、祖母を持ち出して葛城にも協力させ、証拠隠滅まで行うとなると、宜なるかな。――とこの時点では思った。

 たしかに後々、弁解されるように非常事態故とか「家族のため」という理由はあるだろう。しかし、それは無実の部外者に罪を着せる理由になどならない。何より、途中までの描写からして葛城家はこれまでにもそういったことを度々行っていたと推定するのは、根拠のないことではあるまい。

 はっきり言って、健治朗が議員として職責を果たし自宅を避難民に開放するとか、そんなのは知ったことではない。後々、責任ある立場にある者が果たさなければならない行いとか、人として行うべきことが、無実の第三者に罪を着せることを正当化はしない。後から持ち出される、健治朗の議員としての行動や家長としての責任を持って、しばしば創作で用いられる「悪印象から好印象へ」や「人物の多面性の演出」といった論法で正当化することもできない。

 あたかも作中では、葛城が葛城たらんとするまでの要因であったはずの「葛城家の負の面」が途中から没却され、ほぼ全てが真犯人・正の責任に帰着させられたかのようである。

 これは単に本作だけの問題ではない。本作だけなら、人物描写の不徹底とか、片手落ち程度で済むだろう。

 しかし、前作以来の葛城輝義という人物にとって重要なファクターであったはずの「葛城家の面々」が「結局ただのいい人たち」では台無しである。

 この点では、田所・梓月の関係のほうがまだ納得がいく。こじれる原因が明確かつほぼ一方的な(梓月の側にある)上、多少関係が改善したとは言え梓月の性格の悪さ自体はほぼそのままであるから、読者の側も公平に見やすい。しかし「葛城家」の面々はどうか。前作~本作途中までの描写と釣り合っていないように思える。

 少なくとも前作から窺える「葛城家の人々」は、多感な高校生の葛城をして「他人の嘘に敏感な体質」を根付かせる程であった。そんな人々の実像が、本作では最終的に「実は不器用なりに家族のことを想い合っていました」となっていると誰が思うだろう? 

 もちろん、「会う度に罵り合う家族」と「お互いに愛情を抱く家族」は排他的ではない。外在する要因次第だ(例としては、特殊な上、作者による路線変更と描写のブレも多分にあるが『うみねこのなく頃に』の右代宮一族など)。しかし、本作において描かれた葛城家は率直に言えば、拍子抜けである*2

 

 前作からの続き、という点ではもう一つ。前作の感想記事で、『紅蓮館』で示された問いの”答え”が、次作以降描かれるのかどうか、という趣旨のことを述べた*3。果たしてその”答え”は示されたのだろうか。この点に関して、私は本作ではまだその端緒が示されたのみ、と考えている。つまり、答えは未だ示されていない。

 前作で元・探偵の飛鳥井により自身の存在意義ないしは存在理由を叩き折られた葛城は、今作で再生することとなった。しかし、現段階で彼が得た答えは、あくまでも葛城固有のものでしかない。”固有のもの”という言い方で分かりにくければ、それはあくまでも葛城・田所(あるいは三谷や今作で葛城らに助けられた一家)の間でのみ通用するものでしかない、と言えばよいだろうか。

 次作あるいは次々作次第だが、今作で再生した葛城が飛鳥井あるいは他の誰かに対しても、自身の存在意義ないしは存在理由を貫き通せるか否か。それが描かれてこそ『紅蓮館』の問いへの解答がなされるのではないだろうか。

 

 以上が『蒼海館の殺人』の感想。本作を評すれば、「本作単体としては、優れて技巧的に組み立てられ、前作を承けたストーリーとしても成立しているものの、登場人物の描写の一貫性としては問題があり、この点ではシリーズものとして見ても疑問多し」と言った所だろう。

 本シリーズは最低後2冊続くようだ。次がいつ刊行されるかは不明だが、読んだらそのときにまたこの手の記事を書くと思われる。

 

*1:

www.hanmoto.com

*2:これでは、「この○○はこんな悪い奴らなんです」と作者に言われて、読者が「えぇーひどい! 許せない!」となった後、作者から「でも実は○○にもこんな事情が……」とされ、「うぅ……感動した。○○はいいやつ! むしろこいつらをここまで追い込んだ奴らが悪い! ○○は悪くない!」と最初から最後まで作者の手のひらの上のまま、絶対的否定か肯定しかしない思考放棄をせよと言われているかのようだ――。念の為言えば阿津川辰海がそういう意図を持っているとは思わない。しかし、作中指摘されてしかるべき点が指摘されないことは得てして、こういったカリカチュア染みた反応を現実に生み出すものである(もっとも、指摘されていたとしても生じる類の悲劇であるが

*3:

 

bitter-snowfall.hatenablog.com