苦雪のブログ

本やゲーム・映画についての感想を備忘録代わりに時折書きます。基本敬称略。

死噛 ~シビトマギレ~:怪異という理不尽に抗う人の意志と赦し

 

 エクスペリエンス制作の心霊ホラーシリーズ第3弾。2020年に始まったクラウドファンディングから度重なる発売延期、制作データ消失などのトラブルを経て2022年12月1日ようやく発売された。

 プレイしてみた感想としては、2年待っただけの甲斐はあったな、と。1作目の『死印』を気に入った人なら、『死噛』も気にいると思う。

 

クラウドファンディングの支援者一覧。しっかり自分のハンドルネームもある。

 以下、『死印』と『死噛』本編の内容と真相について触れる。伏せ字で隠すとかは基本していない。

 

 12/5追記:デフォルトネームの名字を、八敷でなく屋敷と誤変換していたので修正。

 12/30追記:DLC「メリイのお色直し」について追記。

 

 

クリア時間やシステム面

 クリアまでにかかったのはおおよそ10時間ほど。『死印』や第2作目『NG』に比べてバッドや同行者死亡を回避するための条件がかなり分かりやすく明示されるようになった。初見で一本道でGood ENDでクリアできた(おそらくトゥルーエンドは、一度クリアしてないとそもそも出現しない模様)。GoodとBadの分岐だけなら同行者の生死も関わらない。ゲームとしては既存作より遊びやすくなってるし、2D画面での探索パートもお金集めただけのことはある。

 

 

 ただ収集要素の遺魂は、進行状況次第では後で取りに戻ることができないのが面倒。取り逃す即やり直しになる。

 従来の対・怪異パートは、今作はSuspensive Actとして登場。難易度はこれまでより簡単。ただ実行率は存在する意味を感じなかった(行動力の消費については正しい選択肢を選べたかどうかが重要だし、クリア後は100%達成可能にできる)

 

『死印』からの登場人物は、すべてが続投しているわけではない。同行者として出るタイプと、登場だけand/orシナリオ中で協力するタイプがいるものの、一部は登場しない。一応言及はされるクリスティはともかく、つかさとバンシーは言及すらない。後は、メリイだがこれはまぁ仕方ない。

 

評価点

 シナリオは面白い。箸休め的な4章がやや短いのが不満だが、それ以外は概ね満足。

 正直に言うと、事件全体の真相・黒幕にアタリをつける解くだけなら、遅くとも6章のある時点で分かるタイプ。ただしそれを差し引いても(予想ができても)シナリオが面白い。

 特に(一応、ここだけは伏せ字)シビトが八敷を幻惑してのみちほの死、それに伴うみちほが実はシビトなのか?という問題に隠れつつ、もう一人のシビトである姫子を容疑圏外に置く効果。そして、6章以降の調査でシビトが姉妹であったと知った途端、真相が一気に分かる構図は面白い。ヒントとしても、みちほの虫好き、やけにシビトへの洞察が合致するみちほ・姫子、8月に2人が時計塔の中に入ったことが事件の原因と思われる、3章全般、4章あたりで姫子とみちほは姉妹のフリをして遊んでいた・人形が「わたしたち」と喋るというのがちゃんと用意されてある。とはいえ、謎解きという観点から言えば容疑者が少なすぎるし、勝手に犯人候補が少なくなっていくのでそういうのを期待すると拍子抜けする。真相に気がつく寸前の、こいつが犯人なのかと他人を疑う気持ちと信じたい気持ちが同居するあの何とも言えない感情は楽しめるのだが。

 そういう謎解きとか真相に気づくときの醍醐味に興味があるなら、2022年5月に出た『春ゆきてレトロチカ』とかおすすめ。

 

不満点

 上に挙げたSuspensive Actの実行率や一部登場人物の扱い。後者については、今作からの登場人物のうち、坂本律、丸橋早希、阿部晴明らサブキャラにも出番が少ないキャラが何人かいるという問題がある。

 坂本は、八敷を煙たがる学園側の人間&エンディング分岐に係わる点で役割があるものの、丸橋はほぼ1章だけの出番(そちらでは役割があるので十分だが)。阿部は意味深なことを言うが、最後はフェードアウトしてしまう。ストーリー上、明確な役割が他に比べて小さめで、開発段階からの企画変更でもあったのか?と思った。

 

 あとこれは不満点ではないが、気になった点として。

CERO:Zだが個人的には過去作とあまり恐怖演出は変わらない。

・メニュー画面を開いたり何かを調べる、移動する際に時折恐怖演出があるが、あまり頻度が多くないしそんなに怖くない。怖さなら怪異登場演出やBoss戦のほうがある。今年は『夜廻三』とかをプレイしていたため、余計この辺の差が気になった。

 

 

死印の正統続編として

①印人との絆

 1作目の死印のいいところ(惹かれたところ)は、初見ではクセが強そうに見えて実は善良だったり意外な一面を見せてくれる印人たち、怪異という理不尽な存在に対してそれでも歩み寄ろうとする姿勢だった。本作はこの2つの要素を正統進化させた点で、2年待った甲斐はあったと思わせるに足る。

 

 今作での主人公(デフォルトネームの)八敷一男の目的は、学園での行方不明事件とシビト調査。しかし、学園内での協力者は、依頼者の校長・近衛聖造くらいで基本的にはほぼ孤立無援の中にいる。そんな中、前作の印人たちが協力してくれるという流れ、そしてその仲間がシビトに狙われるため、仲間たちの協力を拒まざるをえない⇒後手に回りさらに行方不明者が出て余計に孤立していく。この一連のプロセスがシナリオにおいて明確なストーリーラインとして動いていた。

 特に、行方不明者が続くと依頼者の近衛すら八敷に対して態度が硬化していくというのは、それでも助力に来る印人たちと、彼らを危険に合わせられない八敷の葛藤として現れていたから、その点でも没入感が大いにあった。

 

 こういうところに顕著なのだが、八敷本人の人格は極めて良識のある人物で、一部はそれを越えて「全部自分だけが酷い目に遭えばいい」思考なところがある。

 

 

 3章の事件では、女子生徒と男性教師の関係が背景としてあった。それを承けたのか、八敷はみちほの「憧れ」に対して明確にそれを受け入れることはないと応えている。真っ当すぎるくらいの人格者が故に、自分ひとりで背負えばいい思考が常にある。

 1~3章までの愛・萌・翔組らが純粋な好意から動いていたことは、彼ら自身がシビトの標的になるという点で八敷が周りを遠ざけようとする心情としてよく理解できたし、医者という立場から「救えなかった」八敷の立場と心を慮っていた大門が倒れるというのがターニングポイントになって、この辺りから前のめりでプレイするようになった。

 そしてだからこそ、箸休め的な4章を挟んだ後に広尾が来るというのが頼もしいし、そこで大門という「仲間」を助けに来たと言うのが、今作のテーマを考える上では示唆的。


 年少組と違って、広尾や栄太なんかは”大人”寄りで、子どもや学生なんかを近づけないようにするという分別もある。多分クリスティやバンシーがいても同じだったのだろう。そんな2人も安岡や八敷に諭されると手を引かざるを得ないのだけど、それでも八敷を最後まで心配してるし、再会することを前提に別れるわけで。

 

 

 翔なんかもそうだが、彼「怖いもの」が苦手でそういうのが来ると震えたり動揺するし、シビトの標的になったと聞かされたときには本気で怯えているし、泣きそうになってたりする。でも、八敷の助けになろうという思いの方が強くて、それでも力になろうとする。留守電のメッセージのように、助けになりたい気持ちを真下の言葉で抑えた・それでも八敷を信じているのが伝わるというのは、このシリーズのいいところだと思う。

 

 基本的に印人のほとんどは善意・厚意・好意から八敷に協力していて、それは真下や安岡なんかも変わらない。真下なんかは本作で八敷の人間性を甘いと思いつつも、それはそれとして尊重するし、ある種の役割として必要だと思っている・八敷が本当に危なくなったら叱咤して引き戻すってのが随所で明確に描かれて好感度が上がる。真下が本当に危ないときのみ、銃を貸すというのはその辺りもあるのだろう。

 

 

②怪異に立ち向かう信念:救いと赦し


 でも、印人たちの思いや行動原理だけでは、本作のテーマは語れない。やはりそこを解く鍵は、真下や安岡が語る「プロ意識」「使命感」にあるのだろう。

 

 

 この「仕事」や「天命」、そして「信念」にまつわるくだりが、本作を理解する上で一番大事なポイント。

 

 

 怪異に立ち向かうための武器=信念で、印人たちにとっての「信念」は、「他人の(八敷の)力になりたい」ってことが明言されている(彼らだけでなく、校長の近衛の行動なんかも「たとえ世間からどう思われようと学園と生徒を守るという役目」を遵守する信念なわけで)。

 

 

 ここは本作の最後の戦い前の会話で、印人たちの信念を聞いた上で、「お前の(八敷の)信念は何だ」と問われる重要な場面。それに対して、八敷は怪異に狙われた者だけでなく、怪異自身も救いを求めている……だから「何かしたい」と答える

 これは、前作『死印』から朧気ながら示唆されていたテーマだ。『死印』の本編では、頼るあてがなかった自分を救ったメリイを封印し*1、「赤ずきん」を救えずに雨の街で野ざらしになっていたクモの死骸をただ拾うことしかできなかった。

 

 

 その延長線上に紛れもなく、本作はあったわけで。前作で繰り返し提示されていた「理不尽な存在である怪異にも手を伸ばすのか」という問題に、数年越しに答えが出された

 安岡から「まるでお医者様」と言われるように、この道は大門が既に(そして今も)通っている道で、やっぱりここが最初からストーリー上も繋がっているわけだ。

 

 

 実は『死印』にしろ『死噛』にしろ、八敷の「甘さ」を全否定している人はいない。さんざん忠告している真下すら、やめろとは言うけどその行いや心情を間違ってるとは言っていない。

 


 「だとしても」「それでも」と諦めない、(見方によっては)未練を捨てきれない八敷の姿は、意図的にそういうキャラクター造形をされている節がある。

 もちろん、それにプレイヤーが乗り切れるかというと難しい面はあるだろう。メリイみたいな悪意で動くような存在にまで手を伸ばすのかという問題もあるし(そういう意味で小説版ラスト1ページは原作を良い意味で発展させている)、「いくら同情しうる過去があっても限度はある」というのもまた確か。本作『死噛』のシビトなんかはまさにそういう存在で、救済した怪異を喰らうわ、校内に被害もたらすわ、印人たちを標的にするわ、終盤は無差別に被害出そうとするわ、「限度越えてる」感だけ見れば過去作のラスボス以上なわけで、これを赦せるかは人によるだろう。

 前作の『死印』でも九条正宗の行為を「許せない/仕方なかった」とプレイヤーが選ぶ二択があり、本作ではそれがシビトを「許す/許せない」という二択として出てくる。別にどちらを選んでも変わりはないし、それで八敷のキャラクターがブレるというわけでもない。「救いたい」と「許せる/許せない」は別の次元なのだから。実際に、True END解放のゲーム内ファイルなんかを見ると、八敷本人も境遇は同情するが、やったことは別としている。

 

 

 今作ではTrue ENDはあるが、あくまでもそれは堂領姫子と絹川みちほが一部の記憶と「先生への憧れ」を持ったまま生存するという結末に係わるのみ。印人たちの近況やエピローグという意味でなら、Good ENDの方がより深く描かれているし、ある種の解説もこちらのほうが明確である。

 何よりも、上記のようにシビトの由来と顛末、作中での所業を知った上でそれでも「許すか」を選ばせる点で、こちらのほうが作中では正史のようにも見える(現にトロフィーも、TrueにはなくGoodまで)。

 グッドエンドで人形少女を修理しようとする八敷の姿には、前作から続くテーマ性が色濃く現れているというのもある。

 


 

 そういうわけで個人的にはGood ENDの方が好きだ(眠ってるメリイからすればいつの間にか「想い人」がいつの間にか新しい女を連れ込んで入れ込んでるというブチギレ案件なのも笑える)。

 もちろん徹底した「それでも」という赦しの姿勢が、シビトを救い、それにより姫子とみちほを取り戻せたというのも本作のテーマにかかわることだろう。

 シビトの姫子の口を借りて出た「憧れ」。自身にないものを求め焦がれたシビトの姿は、前作のメリイとは一見異なる原理のようで、実はかなり近いものにも映る。

 

 

 

 メリイの執着が自身とは全く異質なものに対してのものであるならば、シビトのそれはあり得たかもしれない自分を求めてのもの。確かにこの両者には絶対的な差があるが、鏡写しのように近いところもある。

 

 

 「その方法しか知らなかった」存在が、行き着く果てがどこにあるか。もし次の作品がつくられることがあるならば、その答えがまた示されるのかもしれない。

 

12/30 追記:DLC「メリイのお色直し」

 クラウドファンディング支援者限定のDLC、「メリイのお色直し」が配信されたのでプレイした。

 八敷とメリイがお互いに抱いている執着と百鬼夜行・人形怪異について掘り下げられていて、今後の展開がますます楽しみになった。

 内容については、それ以上言うことはないのだが、死印の小説版・漫画版でも随所にあった八敷がメリイに執着心を抱いているというのが死噛で明確に示されたというのは大きい。


  客観的に見て、八敷の精神状態はかなり危うい状態にある。真下からは、これまで以上に、メリイには深入りするなと言われているし、妹サヤの願い通りに白い服を着せる行為自体、呪いを抑えるのとは別の目的(妹への執着、メリイへの執着あるいはその両方)でやっているようにしか見えない*2

 

 死印の漫画版によると、九条政宗は人形師としての才能が、九条サヤには霊媒(霊能力者)としての才能を有していたようだ。ただ正宗には幼少期からメリイの声が聞こえていたと思わしき描写がある。DLCにおいては、メリイの封印が九条家の宿命であるとのサヤの遺した書き置きが出てくるため、メリイの由来がそのまま九条家の由来を解き明かすこと(=次作以降の本題?)になりそうだが……。

 

 

 私は未視聴なのだが、ドラマCDの死印~青き終焉~においてはメリィは白い服を身に着けているという。少なくとも、メリイの浄化という点では白い服>黒い服ではありそうだが、メリイの場合八敷がそうすることも含めて愉悦に浸ることにもなりそう。

 


 一応整理すると、

・八敷にとっての執着とは、呪いをかけ、自身の記憶と家族を奪ったメリイと決着をつけること

 

・メリイにとっての執着とは、復活して八敷の恐れや悲しみといった感情ごと喰らうこと

 

 一言で片付けられないところはあるが、根底にあるのはこれだろう。八敷の中では、妹の無念や彼女を助けられなかったことへの慚愧の念が強い一方(漫画版は顕著)、怪医家としてメリイを救いたいという思いがあるのも確か。

 メリィの場合、最終的に喰らうことを目的とはしていても、八敷が自分に目を向けている(執着している)こと自体が愉悦となるし、再び巡り合うことが半ば目的化している面もある。

 これは、解釈が分かれるだろうが八敷の怪医家としての活動は、本人の善政・倫理観もあってのことだが、メリイを救えないことへの代償行為でもあるわけで、死噛でいうところのシビト事件を解決したとしても、100%の安堵感・満足感を得ることにはなっていないのだろう。刑期を終える同胞を見て、「まだ自分は解放されていない」と思うようなものだろうか。生き急いでいるとも言える。

 死噛本編のGoodENDに至っては、愛や翔、広尾といった印人たちとの日常会話や食事にすら違和感を抱くという精神の均衡を崩しているとしか思えない描写まである。

 

 厄介なのが、八敷の場合メリイを破壊して完全に封印できる可能性があったとしても、メリイを救う道を探し続けるだろうということ。真下あたりはそこを見抜いている。だから深入りするなと言う。救おうとすることはやめておけと。

 そもそも八敷にとって、メリイとは「今の自分」にとっての恩人でもある。「記憶を喪った自分を助けてくれた」のは他ならぬメリイでもある。たとえメリイの意図がどこにあれど、八敷が一度はメリイに救われたことは残ってしまう。

 

 このシリーズは、理不尽を撒き散らす怪異に対してどこまで歩み寄れるかプレイヤーが試されているのだと思う。そうだとすると、メリイに次に対峙したとき、八敷ひいてはプレイヤーは何を試されるのだろうか。

*1:怪異と分かっていてもメリイに対して憎からず思う心を捨てきれずにいる。それどころか小説では、封印した直後においてもメリイあるいは「向こう側」に対して焦がれる心を否定できないでいる。

*2:小説版の設定がどこまで生きているかは不明だが、それも前提にすればメリイを憎からず思ってすらいるわけで