苦雪のブログ

本やゲーム・映画についての感想を備忘録代わりに時折書きます。基本敬称略。

かつて吉村達也という作家がいた

 

 

 かつて吉村達也という作家がいた(以下、吉村表記)*1。主にミステリーを執筆し、それ以外でもホラー・サスペンスなど多岐に渡るジャンルで活躍した。氏の作品の中で一番世に知れ渡っているのは、『生きてるうちに、さよならを』(2007年)かもしれない。ここ数年は、氏の初期作が新装版という形で復刊されているため、手にとった人もいるだろう。2012年にガンで亡くなった際、公式ブログにて自らの死を告知するという趣向を凝らすほど、読者サービス・ユーモアに溢れた人物であった*2

 

 

 吉村氏は、フジサンケイグループに入社後、ニッポン放送の制作部ディレクター等を経て、扶桑社に出向。この時期書いた、『Kの悲劇』で作家デビューし、合間に書籍編集長勤務をした後、1990年から専業作家となる。

 吉村達也の特徴は、一言でいえば、その多作さ。そして、それを成り立たせる筆の速さ、アイディアの豊富さ。2012年にガンで亡くなるまでの間に、吉村が著した作品数が200を超えていることは驚嘆する。Wikipediaの著作リストでは*3、刊行年月日も見れるが、異常なまでの刊行ペースであることが分かる。

 もちろん、この中には小説以外にも、今日で言う自己啓発書やビジネス書の類、エッセイ的なものから、過去作の改稿・リメイクも含んでいる。ただ、吉村の場合、改稿・リメイクというのは、単にタイトルの変更や文章の校正にとどまらず、文字通りの全面改稿であることも少なくなかった。文章に手を入れるのは当然で、中には話の展開や内容が大幅に変わり、時には犯人すら変わることがあった程、というのは知っておいて欲しい(例えば、新本格作家の初期作品によくある「新装改訂版」は文章には手を入れても、さすがに犯人やトリックすら変えることはしていない)。

 私は、中学から高校に上がる頃、氏の作品に接した。それからまさしく彼が亡くなる2012年にかけて、彼の作品を大体7~8割程読んだ。といっても、さすがに当時改稿「前」の作品を手に入れることは困難でも合ったから、それらは読んでいない。しかしそれでも、氏の作品を殆ど読んだ「愛読者」の範疇には入るのかもしれない。もっとも、私は氏の晩年、2010年前後の作品には余り目を通していない。

 以下は、そんな私の思い出話である。なお最初の「多才・多作」の項目では、彼の長所を、次の「思い出は思い出として」では、表裏一体の短所についても述べる。

 

 

 

「多才・多作」

 吉村達也は、主にミステリー作品を執筆していたが、それ以外でもホラー、サスペンス等も多く書いていた。ときには女性向けファッション雑誌の『Popteen』に連載し、同誌の看板モデルを主役に「小説」を書いていたという事実は、氏の創作意欲あるいは仕事における顔の広さを、良くも悪くも象徴している。

 氏の場合、代表作というよりは代表シリーズを上げる方がいいだろう。その筆頭は、やはり推理作家・朝比奈耕作と、同シリーズのサブキャラから出世した志垣警部and和久井刑事シリーズだろうか。その次は、サイコセラピストの氷室想介シリーズに、捜査一課刑事・烏丸ひろみシリーズだろう。この辺りのメインシリーズは、大体世界観が同じで、時折他のシリーズの人間の名前が出ていたりする。中には、『怪文書殺人事件』(1999年)のように氷室・烏丸の両探偵が推理を競わせる作品もあった。

 カフェオレ色の髪にメイクをし、どこか「日本人離れした」言説や態度をとる朝比奈。凸凹コンビさながらの漫才を繰り広げつつ、話を広げていく志垣警部と和久井刑事。吉村の作品のほとんどは、朝比奈シリーズか志垣・和久井シリーズである(正確には、日本各地の名湯を舞台にした温泉シリーズなるものがあるのだが、これの主役が志垣・和久井なのである)。

 朝比奈耕作は、そのカフェオレ色の髪にメイクという「日本人離れした」風貌や言動で周囲をざわつかせるが、本人は友人・隣人思いの誠実な性格で、事件に対して基本的には真摯に対応する。志垣・和久井は元々朝比奈シリーズが初出の人物で、推理小説におけるいわゆる警察役であった。当初、志垣の朝比奈に対する印象は外見・言動から最悪に近いものであったが、後に朝比奈と何度も会う内、その人間性から朝比奈に対して誰よりも信頼を見せるようになったのが志垣である。

 朝比奈は、両親との関係から生じたトラウマから家族というものに複雑な思いを抱いている。父親を毛嫌いし、父の親友の尾車教授をこそ父のように慕っている。彼自身の事件でもある「惨劇の村」五部作を経てからは、人間的に一皮剥けていくようになる(髪色はそのままだが、メイクは途中から止めるようになる)。

 志垣・和久井は、先に述べた通り、元々朝比奈シリーズの刑事役として出演したキャラだ。コメディリリーフ的な役回りでもあったが、江戸っ子気質の古い人間の志垣とまだ若く頼りないところの多い和久井というコンビは、使い勝手が良かったのか、上述の通り独自のシリーズにもなっていくが、その話はここで止めておく。

 作家として、あるいは人間として、吉村達也の関心は「人間心理」そして「周囲との違いから生じる溝」にあったと言っても過言ではない。氷室想介シリーズがわかりやすいが、後者なども「日本人離れした」朝比奈のカフェオレ色の髪が象徴的だ。吉村達也は、ミステリー作家あるいは作家として終生、人の心というものを主題にしていた。

 氏の作品を読んでいく者は大抵、登場人物の言葉を借りて、それどころか時には作者自身の言葉として、氏がミステリーにおいて動機を重視していることを知るだろう。動機、人間心理を重視するという姿勢はある意味、氏の著作の比重がミステリーからそれ以外へと移っていった晩年にも一貫していたのだと思う。

 吉村達也は、常に動機、もっと言うと「なぜ人は人を殺すか」を常にテーマとしていた。少なくない作品で、氏は犯人が殺人に至った動機というものを最も色濃く描写する。そして、その原因とでもいうべきものは初期作から晩年までほぼ一貫して、「家族」にあった。

 吉村作品では、家族それも日本的家族形態というものが事件の原因・遠因になっている場合が殆どだ。日本的な家族において常に弱者になりがちな女性(妻・娘)、子ども。時には、「外では色々な相手に威張り散らしているが家の中では弱々しく家族の顔色を窺っている日本的父親」すら弱者として描写される。

 そうした家庭における弱者の描写というものは、吉村が最も得意とする所だった。そればかりか、テレビ局や出版社時代の氏の経歴から得た体験であろうが、日本的企業(「カイシャ」)の描写、男それも中年上司のイヤな感じを描く様は上手かった。

 だからであろうか。吉村氏は「日本的なもの」に対する嫌悪感・アンチテーゼというものが常にあったようだ。氏の認識ではその典型が、”カイシャ”と家族であったのだろう。ある時期以降、氏の作品には「被害者が死ぬことに至ったのは、加害者をそれほどまで追い詰めたせいで、その責任は被害者自身にある」というテーゼが頻出する。

 それほどまでに吉村達也は動機にこだわった。自己利益。事前予防。怨恨。復讐。自己犠牲。正当防衛。返り討ち。etc...。こう一言で書くと、ひどく薄っぺらく気の抜けたものになってしまう「Why done it」だが、吉村氏の作品の動機はそのように記すことを拒否する趣がある。その全てとまでは言わなくても、吉村作品の「動機」は、「この作品の犯人は抑圧された家庭の中で育ったため、そこから生じたストレスで犯行に及んだ」とか「動機は復讐である」と書くことを躊躇ってしまう。

 会社にしろ家族にしろ、最終的な氏の問題意識は、日本というものに行き着く。これについては、後述しよう。

 

 もう一つ氏の作品の特徴は、「意外さ」の追求だろう。意外な犯人でもあるし、意外な真相でもある。とにかく読者の意表を突く、盲点を突くことも得意であった。大体のパターンが、余りにも不可解で奇抜な状況が生じたのは何故か→意外な真相、というものである。例えば、葬式に白いスーツで現れたのはなぜ?(『猫魔温泉殺人事件』(1996年))、死体にわざわざウルシが塗られていたのはなぜ?(『修善寺温泉殺人事件 』(1992年))など。

 こうした点への吉村氏の拘りは、彼自身の関心もさりながら、その言葉を借りれば、従来のミステリーがこれらを無視とまでは言わなくても、過小評価していたため、というのもあるようだ。

 これ以外に、アイディアマン、新しい試み好き、それに意欲的な点も挙げられるだろう。氏は死に至るまでの間、常に作品を執筆し、時には壮大な構想までぶち上げもした。

 例えば、氷室想介シリーズの「魔界百物語」は全100巻(!)という構想だったそうである。それも100巻の1巻ごとでそれぞれ独立した事件を扱い、100巻すべてを読むと全ての事件に底流していた真相が明らかになる、という趣向だったようだ。

 あるいは、烏丸ひろみシリーズの『ラベンダーの殺人』(1997年)などは香りが事件の重大な要素として関わるものだが、本そのものにラベンダーを香りを付着させていた(私が古本で買ったときはまだラベンダーの香りが微かにしていたが、今ではもうそんなことはないだろう)。

 先の『怪文書殺人事件』なども烏丸ひろみに届いた、「犯人直筆の毛筆の怪文書」を実際に収録していたりした。『死者に捧げるプロ野球』(1992年)も実際にある年、ある日の巨人阪神戦の裏で同時進行する事件を描くという趣向だったりした。

 他には『時の森殺人事件』というシリーズもあった。信州の「時の杜」に住む不可解な住民たちを中心に描かれるこの作品は、作者自ら「日本版ツイン・ピークス」を目指したという。なお、この作品の登場人物一覧を見ると、今では考えられないことに登場人物欄に「実際の芸能人そっくりの似顔絵」が描かれている。

 良く言えば、遊び心に富んでいて、そこに感心する。悪く言えば、ふざけているのか?と思うか、呆れてしまう。むしろその両方を同時に感じてしまうほどの拘りようも特徴である。

 あとは氏の作品は筆が早いこともあり、極めて読みやすい。この辺りは放送作家出身故だろうか、とにかく読者に優しい。簡潔で明快。そして多作さ、多ジャンル故、どんな人も最低一作か二作か程度は面白いと思うものが出てくると思う。

 アイディアが豊富で筆が早い。常に作品を刊行し、新しいことに挑戦し、読者を飽きさせない。人間の心理というものにこだわり抜き、動機を重視したミステリーを描き、そこからホラーやサスペンスにも進出。魅力的な多くのキャラクターを生み出した。吉村達也という作家を忘れることはないだろう。

 

「思い出は思い出」

 しかし今にして思えば、吉村達也という作家に思うところがないわけではない。前述の専ら氏への好意的な評価。コレ自体は別に今もそれほど間違いとは思わない。吉村氏ほど多作で、アイディアマンな作家はそうそういないと今でも思う。しかし逆に言えば、それは吉村氏の致命的な欠点であった。

 多作さ。アイディアの豊富さ。多才さ。確かに、素晴らしい。だが、それらの代償とでも言うべきものは決して小さくはなかった。

 Wikipediaで氏の代名詞たる朝比奈耕作シリーズ、氷室想介シリーズ、烏丸ひろみシリーズの作品の刊行年を見て欲しい。烏丸ひろみシリーズの最後の作品は、2006年。朝比奈耕作シリーズの最後の作品も、同じく2006年。唯一氷室想介シリーズは2012年だが、これは例外とでも言うべきで、というのもこれは元々2004年を最後に止まっていた「魔界百物語」シリーズをリブートして、過去の三作品をそれぞれ改稿し、新たな作品として執筆したものだから、である。そして、それすら2012年の急逝により頓挫してしまった。

 朝比奈耕作シリーズは、主役たる朝比奈自身の人生にピリオドを打つとして執筆されることとなった「新・惨劇の村」五部作の半ばで事実上終わった。結末については編集者に教えていたそうだが、2021年1月現在、それを知る由はない*4

 氷室想介シリーズは前述の通り。ましてや烏丸ひろみシリーズはいきなり終わっていることになる。

 特に氷室想介シリーズの場合、深刻という他ない。氏は「魔界百物語」をリブートする際、旧作を改稿するとともに、氷室想介やその周りの設定すら新しくした上で、物語の行く末・真相を含め大幅に見つめ直したという。その上で、今度こそ100巻で一つのシリーズとなし、それでいて1巻ごとに一つの事件として成立する「魔界百物語」シリーズを書くと宣言していた。更に、氷室想介の旧作も書き直す、と。氏は本気であったことが窺える。急逝するまで、氏は世界各地の言語を調べ、作品に登場する「陰陽大観」という書物から「神とは何か」「文明とは何か」を語る予定であったという*5

 私は作家の生活というものを知らない。吉村氏は作家として多忙であったろう。資料収集とその読み込み、まとめ。執筆。出版周りのあれこれ。果ては一個人としての生活。家族。書きたいものがあっても頼まれ原稿・仕事等は常に存在していただろう。晩年はそこに闘病もあった。

 作家が歴史なり文学なりを調べ、作品に活かす。大いに結構。元々吉村氏は作品の登場人物に自らの「日本論」「日本人論」を語らせることが少なくなかった。それは必ずしも悪いことはではないのかもしれない。少なくとも本人はそれだけ真剣だったと思うし、そこに同意するかはともかく一定の真摯さがあったと私は思う。(それこそプロの研究者でも取り扱い注意な)一作家の「日本論」「日本人論」として見れば、むしろ氏のそれは良心的な部類であったとすら思える。

 朝比奈シリーズ中期~後期にはしばしば顔を出していた日本論・日本人論だが、今でも覚えているのは田山花袋の『布団』についてだ。吉村は登場人物の口を借りて、田山の『布団』を問題視する。『布団』という私小説は世間に受け入れられた。しかしそれは、当時の日本社会がいかに個人のプライバシーというものを蔑ろにしていたか、それがいかにモデルにされた人物を傷つけていたのかに鈍感だったかを意味する、というものだ。

 こうした視点は、元テレビ業界故か、はたまた氏も会社人間だった故か。プライバシー観念の欠如に象徴される日本の会社と家庭、これこそ氏が終世問題視したものであった。会社にしろ、家庭にしろ、そこで生きる弱い立場の人間のプライバシーすなわち私生活や個人としての人生が抑圧されることを氏は問題と見て、動機として描いてきた。

 

 ただそうは言っても、氏の晩年の作品を見ると、日本人論にしろ、日本論にしろ、プライバシー論にしろ、それが著しく雑であったことは否めないし、もはや作品それ自体に必要なことだったのか疑問なしとしない。モチーフとして日本の歴史等を題材にしていることも多かったが、「悪い意味で小説家が陥りがちな歴史もの・歴史を題材にしたミステリー」の類であった。吉村が本気で自説を吹聴していたかどうかは分からない。しかし、人の心に目を向けていた作家・吉村が、その晩年においてはしばしばありがちな作家の歴史趣味に陥っていたことは否定できない。

 また、はっきり言ってしまえば、吉村がたとえどれほど壮大な構想を抱いていようと、実現しなければ所詮は画餅である。ましてやその壮大な構想とは、自身の代表作とでも言える朝比奈耕作の人生にピリオドを打つ作品に替えてでも優先すべきだったのか? 烏丸ひろみは? あるいは他ならぬ氷室想介作品も書くべきは「魔界百物語」だったのか? そんな思いは否めない。

 かつての吉村氏は朝比奈耕作等の作品を書きつつ、ホラーにも手を出すという活躍をしていた。いつしかミステリーから離れ始め、ミステリー要素が失われたわけではないにしても、ジャンルは移っていった。それは動機の重視、人間心理の重視という氏の姿勢からすれば、正当進化と評すべきかもしれない。

 だが氏が晩年、それこそ亡くなる直前にまで拘った「魔界百物語」。全100巻というその構想。その代償は決して小さくはないと思う。2000年代後半、朝比奈・烏丸・氷室の三シリーズが休眠している間、氏が執筆していたホラー、サスペンス、志垣・和久井シリーズなども決して駄作ばかりではないと思う。『生きてるうちに、さよならを』など吉村達也らしい作品が2020年代になっても世に知られている。だが、それでも本当に注力すべきだった方向があるように思えてならない。

 

 ただ所詮、それは一読者たる私が言っても無意味なことなのだと思う。作家は書きたいものを書けばいい。ということは分かる。ならば読者は、読者として思うところを述べるべきだろう。

 確かに動機重視・意外性重視の吉村氏の姿勢は称賛に値する。だが、前者に注力する理由が「従来のミステリーにはそれが欠落しているから」というのは、それは単に「吉村達也がそう思うんならそうなんだろ」案件でしかない気がする。勿論、吉村氏も万能ではないからそこを攻めるべきではないが、吉村氏の認識する範囲でのミステリーが動機を重視してないとしても、世に溢れる数多の作品は決してそうではないだろう。

 有栖川有栖が何かの文章で、吉村の名前を挙げていた記憶があるが、逆に言えば、それ以外では今現在ミステリーと聞いてイメージされる名前や分野と吉村氏の関係性は薄いという印象もある。

 そして往々にして、批判を受けた対象の界隈も、たとえ客観的に見て十分ではないとしても藻掻いていたり、何とか試行錯誤しようとしていることもある。この点は、氏が実践の中で動機に拘りまくったことから、そういう意見も一理あると言えるかもしれない。

 だがもう1つの意外性。こちらは問題ありだ。率直に言えば、吉村氏の言う意外性(意外な犯人でも真相でもなんでもいい)は、最初のうちは「あ、そうか」となるがそれは最初の2~3作品で、そのうち「作者が何から目をそらしたいか」に意識すればすぐ看破されるような類のものだ。

 いやたとえ分からなくても、驚くことはなく、「ああ、なんだ」程度のものだ。なにせ、奇抜な状況と意外性を生み出すことが先にあるせいで、それ以上の驚きがないのである。特異な状況とその理由の説明が納得を与えるのは至難で、単にそれを用意しただけでは、裏表紙のあらすじ部分に書いて読者の興味を引いて貰う以上の効果はない。多くの読者が感心するのは、謎が謎として適切な文脈に置かれているからで、特異な状況先行の謎が解かれても驚きは少ない。吉村氏は、特異な状況を出すことが先行しすぎているし、意外性も意外なだけであって、それが分かったからと言って、「パズルのピースがハマったような」感覚を抱くことはない。この辺り、スラスラ読める・読みやすい氏の文章が仇になる。

 言葉は悪いが、私の好きな作品と吉村氏の作品を比べれば、それらに遠く及ばないというのが正直な感想だ。それ自体は良い悪いではないのだが、吉村氏がそういった作品に迫り得たと私が思うのが、氏の2000年代前半の辺りであったので、惜しいという印象がある。

 動機重視・意外性という点ではまだある。まず氏の関心が日本的家族・社会(イエ・カイシャ)にあるせいで、動機自体を当てるのは難しくない。もちろんその描写自体は、中々他の追随を許さないようなものとしても、である。意外性も何を狙っているのか考えれば、驚くことは少ないだろう。また氏が活躍した1990~2000年代なら、まだそれらにリアリティがあったが、今はそれらのリアリティが相当薄らいでいるようにも思える。この点は、少し時代を感じてしまう。

 更に、上にも書いたが氏がときに「加害者が被害者を追い詰めたから被害者に殺された、加害者を死に追い詰めたのは加害者自身」と言うことにも同意しかねる。現実でもその種のことはある。だから情状酌量というのがある。

 だが言葉は悪いが、氏の言うことはただの逆張りでしかない。私のこの言い方に対して過剰反応ではないか、と思う方もいるかもしれない。だが、氏の見識を疑わざるを得ない描写もときに作品にあった。

 それは『怪文書殺人事件』。同作である人物が烏丸ひろみを責めるシーンがある。詳細は伏せるが、要は「その人物(X)が烏丸に脅迫状を送ったのは、Xの配偶者が烏丸によって逮捕されたせいで社会的信用を失い、諸々ひどい目にあったから」で、Xは烏丸に「あんたがあのときあんな犯罪を見逃していれば私達はこんな酷い目に遭わずに済んだのに」と責めて、烏丸ひろみは黙って反論しないままというものだ。

 作中の描写は一見どちらにも肩入れしていないようにも読める。だが、烏丸ひろみが反論しないという点、Xの妄言(あるいは八つ当たり)に対してこの後作中でツッコミがない(ことから吉村達也自身がそう思っていることが否定できない)上、この出来事の後、「現に怪文書(脅迫状)でXは烏丸ひろみの心を傷つけている/いた」という点が後ろに退き、矮小化された。そこに上の「被害者の死の原因は被害者自身」という言説を合せると、どうも吉村達也の発想はただの逆張りでは?としか思えなくなってくる。

 物事は一面的ではなく、逆方向から見えてくることもある。片方から見れば、不幸な被害者が、別の側面から見れば自ら死を招いた犯人への「精神的加害者」(吉村達也はこういう表現をよく使った)であることも確かだ。さしずめ『銀河英雄伝説』に出てくるハイドリヒ・ラングが、公人としては悪人でも、私人としてはよき家庭人として、匿名で寄付をする人間として、描かれていたように。

 だが吉村達也の手法は、(時に描き方が単純と見なされる『銀英伝』と比べても)皮相に思える。例えば吉村氏が『銀英伝』のラングのような人間を書けば、物語当初で描かれたラングの「悪辣さ」は、終盤に描かれるラングの「よき家庭人」としての側面で覆い隠されてしまうだろう。

 もちろん実際の吉村達也の作風としては、序盤に「よき家庭人」ないしは「悪しき家庭人」ぷりが描かれ、後半に例えば人としての「悪辣さ」ないしは「善良さ」が描かれる、といった感じだろう。だがこの比喩で言いたいのは、吉村氏の手法では人間の複雑さ・多面性が没却され、特定人物の印象が当初のそれからひっくり返されたままで終わる、という問題だ。

 ラングで言えば、たとえ私人としては良き人でも公人としては悪人である。公人としては悪人でも、私人として良き人であった。この2つは分かたれない。そこを分けて考えて、「ラングは実はいい人!」なんて言うのは愚かだろう。つとに吉村の手法は、物事や人物の印象をひっくり返すまで、であった。人間心理というものを大切にした氏であるが、読者への期待に応えるためであろうが、得てしてこうした単純化の弊に陥っていたことは否めない。

 氏の発想を問題に思う理由は、他にもある。吉村氏の作品を追うと、ここ30年ほど(そして今でも)流行っている「人権」etcに対する”綺麗事”への批判というものが目に入る時がある。そこも、無視できない。

 私は、人間の心というものを真摯に主題にし、「心の闇」という安易な言葉でそれを括ることを拒否した氏の姿勢を、作品の中で犯罪に手を染める羽目に至った人間を只々描写していった氏を、大いに尊敬する。だが、氏の逆張りとしか評価できないような態度・認識については断固として間違っている、と言わせてもらう。

 

「それでも……」

 ここまで吉村達也の欠点といでもいう部分を述べてきた。元テレビ業界出身故だろうか、氏の作品は良くも悪くも「大風呂敷で、読者に分かりやすかった」。壮大な構想や大胆な発想は、裏を返せば大風呂敷を広げただけでもあったし、読者に分かりやすいことは読みやすく楽しみやすい反面、単純過ぎるという誹りは免れ得なかった。分かりやすいということは、同時に単純で一面的であることも意味するからだ。

 ただそうは言っても、吉村達也が凡百の者として消費されて良いとは思わない。吉村達也は、後世の多くの人に名を知られるような類の作家ではないだろう。たとえ100年後まで残るような、人々の記憶にいつまでも残るような類の作品を書くタイプではなかっただろう(もっとも、氏は人々の記憶よりも世の中の記録に残ることを案外重視していたのかもしれないが)。

 それでも。読者を楽しませること、読者の意表を突くことに拘った氏の存在を。自らの死すら告知するというユーモア溢れる生涯を。そんな人物がかつていたということは、誰かが憶えていてもいいのではないだろうか。吉村氏は、決して一流の作家ではなかったのかもしれないが、それでも一生をかけて拘りを通した作家であったことは、知っておいて欲しい。

 

 氏の著作リストを見ると、一度「お」と思うようなタイトルの作品が多い。語呂が良かったり、センスが良かったり。それだけ気を遣っていたのだと思う。今でも私は、タイトルを見ただけで大体どういう話だったのか、朧気ながら思い出す。

 氏の晩年には描かれることがなかったが、氏の代表作の主人公である朝比奈耕作というキャラクターは、胸の内に屈折やコンプレックスを抱え、時に生意気な言動を周囲に見せつけながらも、人に対して誠実で真摯な性格の持ち主だった。特に、人と人との関係で傷ついた存在への優しさというものは、類を見ない程だった。傷つきやすく、脆い心を有するからこそ、他者に対して優しさを示すことができたのである。

 父親との確執に起因する朝比奈の家族・家庭への苦手意識は、家族・家庭そのものへの嫌悪感に至っていた。それだけに、朝比奈は結婚・出産という世間一般から見れば幸せとされるものに対して、「今は幸せでもこの先もそうとはいい切れるのだろうか」と思わざるを得ない人間だった。最初は良いものとされる家族・家庭というものが、人を束縛する柵(しがらみ)に変わっていくことを恐れた朝比奈は、事件の中で人一倍それに直面し、向き合うこととなった。

 それでも朝比奈が捨てなかったのは、人間性・善意というものであった。友人や知り合いに対する優しさ、殺人事件に直面した際、「何があったのか」を明らかにしようとする姿勢。それは一方ではミステリーの文法に沿った行動でもあったが、作中で描かれた朝比奈耕作は最後まで他者への優しさを捨てることはなかった。

 そういった朝比奈の「優しさ」は晩年の吉村作品においても、消えることはなかったと思う。本人にそのつもりはなくとも、どこか滲み出るものであった。そう思えば、『生きてるうちに、さよならを』のような作品が今でもジワ売れし続けていることは、何よりも吉村達也らしいこと、なのかもしれない。例えその作品に欠点があろうとも、消えることのないものがあったことを私は信じている。

 そのことに思いを馳せるたび、だからこそ朝比奈耕作シリーズが未完のままであることが、私は心から無念に思う。もはや描かれることのない続きがいかなるものであったのか。時折、それを考えてしまう。それが本当に辛い。

 

*1:

あらかじめ言っておけば、この文章は、吉村達也という作家をダシにしているようなものである。しかし、氏の死から相当月日が経った中、人生の決して少なくない時間を氏の作品を読むことに費やした人間が書くことには、何らかの意味はあるかもしれない。少なくとも、一読者から見た氏の長所・短所・限界を記すことに意味はあると信じている。

 本来なら、個別の作品を具体的に取り上げるなり引用するなりして論じるべきであるが、遺憾にして今手元に参照できる氏の文献が全くと言っていいほどない状況のため、「思い出話」の体裁を採用した。もしかしたら、いずれなにかの機会に氏の作品を取り上げることがあるかもしれない。その際、この「思い出話」が何かしらの叩き台となるだろう。

*2: 当時のアーカイブ

web.archive.org

*3:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%91%E9%81%94%E4%B9%9F

 2021年1月18日閲覧

*4:特に、「新・惨劇の村」は三作目の『白虎村の惨劇』(2006年)まで刊行され、次作の『玄武村の惨劇』、次次作『愛の奇蹟』とタイトルとISBNまで明らかであったにも拘らず、出ていない。ここまで来ると、出版社とのトラブル等を窺わせるが真相は不明である。

*5:

http://makai100.blogspot.com/2012/02/vol19.html

 2021年1月18日閲覧