苦雪のブログ

本やゲーム・映画についての感想を備忘録代わりに時折書きます。基本敬称略。

初めて行った喫茶店の店主さんの話

 

 自分はコーヒーが好きだ。一人暮らしを始めてから、実家にあった手動ミルを持ち込み、焙煎ずみの豆を買い挽いて飲むようになった。去年は、カリタの電動ミルも購入した。用事で東京や大阪とかに行った際は、空き時間に有名店とかに行くようにしている。それのみが目的で旅行に行ったこともある。知り合いからは、変わった理由だ、と言われたが。

 

 今、自分が住んでいる街の喫茶店にもよく行く。週1~2回くらい。お気に入りの所に行くことも多いが、偶に行ったこともない店に足を運ぶことがある。

 喫茶店に行く理由は、コーヒーが飲みたいからというのが一番だが、自宅以外の場所でゆっくり落ち着きたいというのもある。

 その日もそんな気分だったが、時間帯は少し遅くて20時頃。よく行く店は大体閉まっている。深夜まで営業している店まで足を伸ばそうかと思ったが、少し遠い。

 スマホで調べてみると、最寄り駅から少し10分もかからないくらい歩いた所に、23時位まで営業している店が見つかった。

 

 そのお店は近くにちょっとした観光スポットがあり、最寄り駅から少し歩くとは言え、中心部からはかなり近い。ましてや金曜の夜だ。さぞかし人が一杯いるだろう。そう思って入った所、思いの他客が少ない。自分の他には、2~3組いるだけだった。

 別に雰囲気が悪いとか、値段が高いとかそういうわけではない。店全体は英国風のデザインの家具で彩られ、照明も本を読むには十分な明るさで、眩しすぎない。二階へ行く螺旋階段もある。店内には騒がしくない程度に、ジャズがかかっている。コーヒーは一杯500円。食べ物とかデザート系は700~800円。良心的だし、スタンダードだ。

 とりあえず初老の店主らしき方に、コーヒーとジェラートを注文した(夕食は済ませていた)。出てきたそれを食したが、悪くないどころか、特にコーヒーは好みの味だった。苦味がはっきり主張しているが、決して尖りすぎずくどくない。デザートなどの甘みと併せても、コーヒーの味がはっきり分かる。たぶんブレンドした豆で苦味を程よく抑えているのだろう。

 

 

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コーヒーとジェラート

 

 

 

 コーヒーとジェラートを食しながら、持参した本を読む。200ページもない小冊で、途中本を閉じてスマホを触ってもいたので、一冊読み終わるのに、1時間半くらい掛かったのだろうか。時刻は21時45分くらい。いつの間にか、店内にいるのは自分だけ。そろそろ帰ろうか、と思い始めた。

 そんなとき初老の店主が水差しを持ってこちらに来た。礼を言った所、「勉強してるのにごめんね 学生さん?」と朗らかな調子で聞かれる。「仕事用の本です」と答えた(自分は卒業してもよく学生に間違われるので、この手のことには慣れていた)。

 その流れで雑談となった。学生か?と聞かれたのもあり、話題は大学が5月に始まる所も多いとか、知り合いの大学生もそうだとか、そんな感じだ。自分の知り合いにはいないが、アルバイトとかの兼ね合いで生活に困る実家に帰る学生の話もある、と喋った覚えがある。

 店主もそれに応じて、「学生さんは困るだろうね」とか「知り合いの専門学校生も東京に帰った」という。

 

 そんな話をしていて、ふと気になっていたことを聞くことにした。私が、「自分はここに初めて来たのですが」と言い、「ああ、ありがとうございます」と店主。「失礼ですが、このお店はいつもこれくらいの人の入りなのですか? 金曜の夜で深夜くらいまでやっているお店で、駅からも遠くはないですよね、てっきりもっと人がいるかと……」

 今思い返すと、相当失礼だったように思う。だが、店主の人は非礼を咎めなかった。それまでよりも、ほんの少しだけ声のトーンを落とし、こう語った。

 

「ここ最近は、あまり人が来ないから、夜になるとお店を閉めることも多い。ああ、今日はお客さんがいるし、全然気にしなくていいよ」(ここで少しだけ冗談めかしていたが、すぐに元の調子に戻る)

 

「人が来ないから、閉めざるを得ないんだよね」そこで店主の方は、「学生のバイトも」と呟き、クビを切る仕草をした。それはこのお店のことだったのか、それとも他の同業者の話だったのだろうか。分からない。そうして、店主はぽつりとつぶやいた。

 

「いつまで、続くのかねぇ……」

 

私は何も言えなかった。店主の「このご時勢、あなたも大変だろうけど、頑張ってくださいね」という言葉に、思わず「店主さんも」と返すのが精一杯だった。それで会話は終わった。少しだけ本を読み返したり、片付けたりをして、22時過ぎ店を出た。帰り際、店主さんと多少会話をした。たぶん、「また来てください」とか「このお店のカード貰っていきます」とかそんな感じのことだろう(喫茶店には、レジの所にお店の住所とかを記したカードが置いてあることが多い)。

 

 正直に言えば、なぜ自分がここまでこの話を引きずり、今こうしてこの文章を書いているのか、判然としない。

 ただ無理やり理由をつけるとすれば、この話を忘れたくないということかもしれない。

 よく考えれば、自分が行く喫茶店は大体有名店と言うのもあるし、駅から遠くないというのもあり、今のコロナウィルスの影響下で客足が途絶えて久しいという事態ではない。もちろん、営業時間を短縮したりということはあっても、客足が遠のいているというレベルではない。偶に甘い飲みものでも欲しいと思って行くスターバックスも相変わらずの人の多さだ。それ以外のお気に入りの店にも、いつも人がいる。

 だが、その日行ったお店はそうではなかった。深夜営業までしていて、駅から然程遠くなさそうで、雰囲気も悪くない。正直に言えば、好きになれそうなお店。そんなお店が明らかに個々最近の情勢で打撃を受けている。

 なんて言うことはない。私は、事ここに至って初めて昨今の事態がもたらすものを実感したのだ。

 もちろん、初めて行ったお店だから、普段からどうだとか、偶々人が少なかっただけとか、店主さんが多少自分に話を合わせた(盛った)という可能性は否定できない。

 だが、初対面の私に100%のデタラメを言う理由はない。現に、私より前に帰った客に対して、会計時多少会話をしている程、あの店主さんは気さくな人柄だった。コーヒーの味も、値段も、店内の内装も。それらが、店主の人柄を移すとまで言えば言いすぎかもしれない。けれど、思わずそう感じる程度ではあった。

 考えてみれば、あのお店は明らかな「長年店主の個人営業で保っているタイプの喫茶店」だ。アルバイトなどは雇っているだろうが、例えば市内各地にチェーン店を展開するようなタイプの喫茶店ではない。

 そういうお店にとって、客足が遠のくのは大打撃なのだ。それは、このご時勢、仕方がないことかもしれない。ある程度は受忍しなければならない事態なのかもしれない。

 だが、多少の気遣いもあったとは言え、一人の客でしかない私に親切な対応をし、ある程度思うことを述べてくれた店主の言葉を、私は一人抱えたままでいたくはない。有り体に言えば、こんな形でしかないとはいえ、こうして記録しておきたい。

 この出来事をもって私が何かを主張できるわけではない。だが、「いつまで、続くのかねぇ……」という万言にも勝るあの店主の呟き。あの言葉を、自分一人で抱えたまま忘れるのは嫌なのだ。理由など、それだけだ。