2022年4月21日発売の「夜廻三」をクリア&トロフィーコンプリートした。以下、ネタバレあり(一部白文字化)。
ちなみに過去作については、無印『夜廻』は小説版のみ読了。二作目『深夜廻』はゲーム・小説ともにクリア、読了済。
全体的に
過去作と比べた場合の難易度については、ストーリー道中や街中を歩くなら今作の方が簡単。『深夜廻』とかのようにそこら中にオバケがいて追いかけ回してくるということはなく、学校や棚田、竹林のようなストーリーマップの中でもオバケに合わない場面は多い。ただストーリークリア後、一部のマップでは道端にオバケが大量追加されているパターンがある。特に商店街は、そこら中にハングドマンのオバケが現れて2~3体に追いかけ回されるくらい、圧倒的に難化する。
ボス戦に関してはこれまでと同様、一定距離を逃げる系のボスが多めな一方で、一部は明らかに難易度が上がっている。4連戦で初見殺し要素満載&失敗すれば最初からの学校のボス*1、長い上にひたすら遅延してくる真ENDルート確定後の人面鳥ことコトリ、大きく前半後半に分かれた構成のラスボスに至っては最難関 自分は冗談抜きで20~30回はやり直した。ラスボスは単純に長いのと、ギミックとして組み込まれた(今作の謎解き要素でもある)コントローラーを振っての鈴振りがやりにくいことこの上ないせいでもある。要するにコントローラーがなかなか認識してくれないときがあり困るのだ。
それと残念ながら過去作要素は、ほぼない。あるサブイベントクリア後にマップを完成させると、「よまわりさん」がマップ端に描かれていることくらい。
ストーリー感想
各マップ
ストーリーの構成としては、記憶喪失→”おねぇさん”との出会い→思い出を探す話がという動機づけや街中を探索する要因になっていたり、アイテムを見つけて「思い出す」→対応したマップが開放されこれまでのようなリニア式ではなく、自由なマルチ式の攻略ができるようになったというのは新鮮であった。
体験版で描かれた前日譚の学校での肝試しの内容とラストの描写やメッセージウィンドウも伏線となっていたのは良かった。前作経験者故、身構えたというのもあったが、予想があたった部分と外れた面があり、そこは素直に高評価ポイント。
前作『深夜廻』もプレイヤーの情緒を破壊しに来るタイプの作品であったが、今作も開幕からキツイものが多かった。冒頭からのイジメ……ゴミを投げられる、バケツの水をかけられる、生き物(魚? 虫?)を食わされるetcもそうだが、その後主人公自身を操作して自殺をさせられるという風にみせかけて実はこれ自体が、学校の屋上で空を見上げながら落ちるという儀式の一貫であったというのは、上手い。
ストーリーで訪れるマップも、今作は前作までと比べて怪異が(自然)現象というよりは、悪意を持って襲いかかってくる、露骨・直接的に人間や社会に害を与えてくる系の怪異が多かった印象。例えば、港にある舟の怪異とか。
私のプレイでは2番目くらいに訪れた棚田マップ。内容もさることながら、轟音と共に大量に生えてくるカカシ、赤ん坊の顔になる人面岩、水門内で聞こえる赤ちゃんの鳴き声……と来て、その後はイヤホンを外してプレイした程。
他は竹林。荒れ果てた日本家屋の中で大量の人形はシンプルにキツイ。最後の追いかけっこは怖いというよりはフリーゲームのノリなのが救いだが。本作の怖さツートップは棚田と竹林だった。
本作はやけに怪異が攻撃的だったり、人間に被害を与えてくる系なのもあってか一部のマップでは明確にこちらの味方になってくれる・手助けをしてくれる系のオバケもいる(墓地の男性幽霊、棚田のカカシ、港の母親幽霊)し、商店街の黒い犬や竹林の赤い女の子、学校のコックリさんのように完全な悪意だけで襲ってくるわけではないタイプも少なくない。
商店街などは、犬の問題や住民同士の問題の果てに怪異が発生した節もあるし、黒い犬も100%害意があったわけではなさそうな描かれ方をしていた。
メインストーリー:考察
メインストーリーについては、半ば予想していた通りでもあったが、よくできていたと思う。ここからは、白文字による伏せを使わないでネタバレに言及。
本作のメインストーリー部分については、ボカされているところも多く、過去作同様小説版によって明かされる可能性が高いのだが、おそらく次の点は確かだと思う。
主人公=ユズと、”おねぇさん”について:全てを思い出した主人公が、”おねぇちゃん”と呼び方を変えていること、ムギとの写真を持っていること、その写真を母親が撮影していたこと、”おねぇさん”は自身の母親を探していることから、おそらく二人は実のまたは義理の姉妹/姉弟、二人の母親は同じ人物(おそらく両親の離婚で、”おねぇさん”は母親側、主人公は父親側に引き取られた?)
しかしここで疑問なのは、作中それは明言されていないということだ。主人公とムギの写真を撮った人=”おねぇさん”の母親、”おねぇさん”と主人公は本編の1年前まで交流があった……というようにボカされている。
これはなぜか? 正直不明な点も多く想像の余地が多いが本作の原因である”神”関連ではないだろうか?
過去作でいうところの、「よまわりさん」や「コトワリさま」にあたる本作の「人面鳥」。この存在は、過去作と比べても驚くほど描写・情報が少ない。ただ街中で拾えるアイテム等で、その名前が「コトリ」であること、そして「ととのった字のメモ」=”おねぇさん”によるメモでは、その名前が”おねぇさん”と同じ名前であることが触れられている。
怪異にとりこまれた彼女は、髪は伸び、手の一部が羽のように変化し、尾羽根のようなものまで生えている。主人公が怪異に取り込まれた際、前髪が同じようになっていることからも、人面鳥に近づいているということだろう。
終盤のステージでは、過去と現在の時間軸が混ざっているという説明がある。やはり、人面鳥(コトリ)となった”おねぇさん”が過去・現在・未来のあらゆる時間軸に出没するようになったということだろう(実際、人面鳥戦では彼女が怪異化していることが前提となっている)。
前置きが長くなった。つまり、人を人面鳥化させる本作の元凶(=神)、こいつは何者か?という話だ。信頼できる情報は、いくつかある。
①太陽が隠れた段階で学校の屋上から空を見上げることがトリガー
②眷属とした人間を人面鳥すなわち鳥に変える
③街中にいる多くのカラスが人面鳥や”神”に関係していることが示唆されていること
これらから、おそらくこの”神”が太陽や鳥、あうりはそれらに類する系譜の怪異であることを示唆している。
ここに主人公と”おねぇさん”の関係がぼかされていることを踏まえると、この”神”は呪われた人物の関係者であることを縁(よすが)として、そちらにも呪いをかけるタイプなのではないか? つまり主人公と”おねぇさん”に血のつながりがあると”神”に知られるとアウトなタイプ。
各地の怪異が、子どもや赤子、水害関連であることから基本的には日本神話関連の神の要素にも見えるが、「空を見上げる」とか呪いのくだりは大陸系の感じもする……墓地の怪異は明らかにキョンシーとか修験者のようなオバケも出てくるし、設定面は日本神話、呪術的な部分は大陸系として両者の混合? 空を見上げる下りでは、「偽物」という単語もあった気がするので、天体系ならこの辺りも大陸系に元ネタが?……とはいえ、これは状況証拠の類であり確定できない。詳しい設定(特に鈴がなぜムギの首輪にあったのか等)については、小説版等を待つしかないだろう。
メインストーリー関連:感想
主人公が一度思い出した「思い出」が実は偽りの内容を含むもので、本当の「思い出」を思い出す→忘れてしまったものがなんであったのかを知るという構成は、『夜廻三』のメインストーリー屈指の名シーンだと思う。それまでにも怪しい素振りがあったムギが実は既に亡くなっていたこと、”おねぇさん”との思い出にあったチグハグな内容も含めて、隠されていた・忘れられていたからというのはよくできている。本作の主人公は、物語開始時から既に色々と喪っていた(あるいは、思い出したことで改めて喪った)というのは、結構心にクるものがある……。
何が悲しいかといえば、本作で主人公は墓場の女性の恨みを祓って(サブイベントでは墓場の男性の幽霊と女性の幽霊を再会させて)あげたり、幽霊の母親と子どもを再会させてあげたり、黒い犬を埋めてあげたり、棚田の水子たちの霊を祓いと他者のことは救えても、既に自分の大事なものは喪っているし、それを改めて突きつけられるし、最後はイジメに立ち向かえるようにはなったものの周りの状況的には未だプラスになったとは言い難いからだ。
日本一ソフトウェアっていつもそうですよね……ゲームの中でなら少年少女や小動物にならいくらでも酷いことしていいし、それを見せつけてプレイヤーの情緒粉々にすればいいとおもってるんですよね……!
冗談はさておき、過去回想で丁寧に積み上げて主人公に本当の思い出を思い出させて、それから二人の再会をさせてから。ようやく二人で行動できるようになるのだが……。
”おねぇさん”に話しかけると色々なことを喋ってくれるのだが……。
前作にもこんな感じのシーンあったなぁとデジャヴュを感じつつ戦々恐々としていると。
ただでさえフラグ立てていた”おねぇさん”がいよいよもって不穏なことしか言わなくなり。
そうして全てを終わらせたあと、ここで二人は初めて手をつなぐ。
なんだか手をつなぐ時点で話すこと前提だし、主人公の髪の毛は元に戻っているのに、”おねぇさん”は元に戻っていないしと断頭台が目の前で綱を引き締めているような心持ちになってしまう。
ここで目をつぶらずにいると、こんな台詞が聞ける。
そうして目を閉じると、怪異が側にいるとき特有の激しい心臓の鼓動音と共に歩くことになる。緑の光が隣にいるのだが、やがて鼓動音と共に光が小さく消えていき……。
異界の出口である廃ビルの屋上側。戻ってきたのは主人公のみ。
総評(ネタバレあり)
前作『深夜廻』は開幕のチュートリアルを利用したプレイヤーへの仕掛けのみならず、それを最後まで利用していき、ラスボスへの対抗策となるというギミック面の秀逸さ。不穏な予感を感じさせつつもお互いを想うユイとハル(以下、前作ネタバレのため伏せ字)、そして二人の別離そして手を離すことをプレイヤー自身に選ばせるという心苦しさを描いていた。
それに比べると本作は、
・開幕の驚かしについては前作面を踏襲しつつそれを更に騙しに使う手法
・敵の配置や攻略面での遊びやすさの向上
この2点が前作からの進歩、改善点として挙げられる。
その一方で、
・鈴を鳴らすというギミックがコントローラーを振ること・それが認識し辛いことは否めないという面倒臭さを伴う。
・何よりそれが不可欠なラスボス戦が、長丁場でダルい。
といった欠点がある。道中の攻略は前作からやや易化なものの、一部ボス等で遥かに難易度が上がっているというのがチグハグな感じ。
とはいえ、ストーリー面、演出面での進化もまた確か。前作がプレイヤーに「もしかしたら……」と思わせて最終的にはプレイヤー自身に選択をつきつけるものだったのに対し、本作は(ラスボスの設定面は除けば)メインストーリーについては主人公の思い出関連の捻り以外、初めからわかりやすさに全振りしている。これは別に欠点ではなく、ストレートに伝えるからこそ意味がある、ということだろう。
何より、主人公に対して最後まで”姉”として接していた”おねぇさん”の言葉一つ一つが、最後に待ち受けているものを予感させながらそれでも生きるために進むしかないという昏い方向での前進をしているプレイヤー、ひいては主人公にとって僅かながらも救いとなったことは確か。
『深夜廻』でもあったが、「いつかこの日の思い出を忘れてしまうかもしれない」という恐れが核にありながらも、それでも幼いときの大切なものを抱えていくというのは、歳をとった人間にとって胃とか心臓とかをギリギリ締め付けられるくらいキツイもので、しかしその厳しさ、清々しい程の残酷さが人の心に響くのもまた確か。
このシリーズの主人公、常人の精神ではないというか、子どもか本当に?と思うくらい精神が強い。今作の主人公なんてクリア後にこんなことを考えている。
身震いする程の前向きさ。自分では無理、絶対こんなこと考えられない。ただ、そう思わせるくらいこの主人公にとって”姉”の思いというのは強かったのであり、思い出を抱えたまま生きていけるくらいの力を”姉”やムギは与えてくれたということでもあるので。
これはクリア後、青い花を集めて花束をつくったあと、物語の始まりの場所にいくと見れるイベント。
ここで初めて”おねぇさん”が振り返り。
あのときと同じ笑顔を見せて消えていく。気づけば、彼女が愛用していた音楽プレイヤーが残されている。主人公は青い花束を供えて、立ち去る……というイベント。自分はこのイベント終了時、プラチナトロフィーを取得したのでトロフィーコンプ時もこの画面だった。
正直に言えば、本作については「遊びやすくなったけどストーリーは『深夜廻』かなぁ」なところが強い。
ただそれでも、過去回想での”おねぇさん”が主人公に笑顔を向けるシーンだったり、最後の屋上のシーンだったり、とにかくその手の主人公を勇気づけるシーンが本作とても印象に残る。この人は強いなぁ、と。せいぜい中学生か高校生くらいなのにどうしてこんなに心が強いのだろう。普通に主人公を逆恨みとかしてもおかしくない境遇なのに。こういう局面で正しい行動をとれるかとか、そういうのは結局のところそんな状況でもないと分からないし、エゴイズムに動くこともあり得なくはない、なのにこの人はなぜそんなことができたのか。そういうのを考えると、たしかにこの作品は爪痕を刻んできたというべきかもしれない。
そういえば、『深夜廻』トロフィーコンプリートしてなかったなぁ時間があればやっておくかとかそんなことを思ったり、次回作とかはあるのだろうかと考えたりもしたが、ともあれ『夜廻三』は1人のプレイヤーの情緒をぐちゃぐちゃに破壊してくれたのであった。
*1:サブイベントでもう一度戦えるのだが、恐ろしいことに4戦目ののっぺら坊と人魂戦で机が出てこないせいでクリアできないバグがある。自分は10分近くやり直して机が出ずわざと失敗してやり直す→それでも出ない→ソフトリセット→出ない→もう一度わざと失敗してようやくクリアできた