苦雪のブログ

本やゲーム・映画についての感想を備忘録代わりに時折書きます。基本敬称略。

2022年を振り返って

 

 2022年も、あとほんの少し。去年も1年を振り返る似たような記事を書いていたので、今年もそれに近いものを書いておこう。

 

 

1年を振り返って

 2021年の12月5日から2022年の4月9日までブログ記事を一切書いてなかった。理由は、現実での生活がもう目が回るくらい忙しかったから。

 何をしていたかというと、お仕事に就くための通過儀礼というか大変な資格試験みたいなものを受けて合格する必要があった。4月から実質的に5~6月まではその関係で忙しくて毎日泡を吹いていた。その過程でいろいろと勉強もして、立場とかが変わったことをあって、それはそれで学ぶことも多かった(そして今も)のだが、上司のような人のうち約1名が何かと言動がキツイタイプの人間で、この人の言動で心が痛めつけられることもしばしば。

 今でも大事な大事な査問会みたいな場所で、その人からボロクソに貶されて暴言まがいのことを言われたことがトラウマで、時々夢に見る。

 指摘自体は、形式的過ぎるけらいはあるがそこそこ真っ当なのだけど、いちいち言い方が刺々しかったり、こっちに「指導」「教育的配慮」の名のもとに圧をかけてくるようなタイプ、と言えば私が抱いている思いが伝わるだろうか。というかいつかパワハラで訴えられてしまえ、と少なくない人は思っている。

 この文章を書いている今現在、その上司のような人から受けた言動と、自宅の郵便ポストに届いた就職活動中に受けたところから届いたお祈りの手紙の宛名と本文の名前両方が誤字られてて、半泣き10歩手前みたいな精神。

 

 この弊害からか、この1年ほどは仕事以外で活字を読めなくなり、仕事以外でWordやExcelを開くのが嫌になった。

 読書メーターの記録見ると、2021年は45~50冊くらい小説とか読んでたのが、2022年は15冊くらいしか小説読んでない。それでも世間一般的に見れば十分だし、学術書とか教養向け新書なら数は減ったものの普通に読めてるのだが。

 これはおそらく、仕事やそれに近いものなら仕方ないから何とかなるのだけど、休日とかプライベートになると活字に触れたくない、Wordとかで文章書くの嫌だという思いが出てきて、未だにそれが治らないということだろう。前までそういうのができてたのがモラトリアムと言えばそれまでなのだが、おかげで今年はゲームばかりやっていた。まぁこのブログとかにせよ、全ては私の自己満足なので、こればかりは私自身がどうしようもないとどうにもならないのだ……。

 

APEXと原神

 来年2月でリリースから4年になるらしいAPEX。細かいことを言えば、文句とか愚痴はいろいろ出てくるけど、なんだかんだ楽しいときは本当に楽しい。ストレス解消目的のためのゲームでオンラインゲーム特有の嫌な体験をするのは本末転倒な気もするが、そこはいつか良くなると信じたい。

 APEXやっててクソって思うことは、敵がフルパなのにこっちは2ptとソロの組み合わせとかスキルベースマッチ(笑)とか以前の問題のことが多くて、初動で味方戦ってんのに呑気にお散歩してるやつが、次の戦闘で真っ先に倒されて即抜けしてくとか、それまで一切ピン刺さないくせに、ダウンした瞬間「助けて」連呼するやつ。

 特に後者は、ボタン一個押すピンはできないのに、わざわざセリフホイール開かないとできない「助けて」連呼はできるのか……と文句の一つでも言いたくなるくらいの迷惑な行為なので、こういうのだけでもどうにかしてくれないかな、と。

 

 原神は、スメール実装から評価が鰻登りだ。特に、新キャラのコレイは、四六時中「かわいいなぁ」「甘やかしたいなぁ」「餌付けしたいなぁ」と庇護欲掻き立てる娘で、見てて飽きない。

 



 コレイって普段は強がりつつも内心の不安感やちょっと弱気なところを隠そうと頑張って、頑張りすぎて倒れそうになるくらいな娘なんですが、木のうろに悩み事を話すくらい年頃の弱さと繊細さも併せ持っている。そんな娘が親しくなった相手に、自身の弱さを見せつつも強くなろうと決意する姿は、とりあえず今後一生分は困らないくらい陰から足長支援してあげたいくらいで、正直どうしようかと。

 最近、実装された七星召喚というゲーム内TCGだとわざわざルール覚えて遊びに来てくれるのもかわいい。友達と遊ぶ日常を謳歌できてるのを見て、安心した。海を隔てた稲妻からわざわざやってくる神里家のお嬢様のことは忘れろ塵歌壺を通ってるとかで脳内補完しろ

 

 草神ナヒーダも、独特の比喩表現と知恵者とあどけなさ両立したキャラクターで、相変わらず原神のキャラは強いな、と。

 


 

 正直私の心というか悶えるポイントは原神だとガイアとかウェンティとか大概は男だけど、普段使いしたり性癖とかは女性キャラばかりなのでそういう意味でも原神は1粒で2度美味しいゲーム。

 

遊戯王マスターデュエル

 

 今年の1月に突然サービス開始して、世間がビビったゲーム。いまは良くも悪くもリリース当初の盛り上がりが薄れてきて、相対的安定期・衰退期な感じ。1周年以降が勝負だろう。

 私はマスターデュエルだとほぼ【@イグニスター】を使っていて、半年間ダイヤ1維持・デュエリストカップで2回1万位以内、リンクRegでもダイヤ1を達成している。

 

(↓いろいろ記事はあるが、とりあえず初めてダイヤ1になったときのを)


bitter-snowfall.hatenablog.com

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 マスターデュエルはランクマの運ゲー感(コイントスとシングル戦による)、コイントスと降格の理不尽さであれだが、ゲームとしてはいいのは間違いない。@イグニスターは、紙の環境でも結果を出している良いテーマなので今後も使っていきたいのだが、そろそろマスターデュエルでもスプライトとかティアラメンツの波が来そうという。あんまり辛かったら【スプライトリチュア】とかに逃げる。

 

夜廻三

 今年はホラー・ミステリー系でゲームをいくつかやれて、そのうち2つは好きなシリーズの新作だった。その1つが夜廻三。

 

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 夜廻三は、「喪失」をテーマとしていて、喪った大事なものを取り戻すというのが目的。しかし、本作の「喪失」とは、二度と戻らない大切なものがあったことすら忘れていたってことにすべて失くしてから気付かされるってタイプのもので、これ以上なく精神にクる。1作目・2作目は、喪うことをプレイヤーに体験させてそれをこれから乗り越えていく(はずだ)というのを共有するものだったのに対し、今作はもう既に手遅れだった、それではお前はどうする?って迫ってくるタイプの作品だった。

 シリーズものとしては、ちょっと小粒というか、あんまり過去作要素とかないなというのは否めないが、シナリオは文句ない。

 

 

春ゆきてレトロチカ

 謎解きを題材に、ということで話題になったゲーム*1。当初は操作性とかプレイ環境の面でもっさり・遅いというのがあったゲームだが、そこはアプデで改善した模様。

 およそ100年に渡る「不老の実トキジク」とある一族をめぐるお話なのだが、思った以上にミステリーしていた。

 実写であるという点で、TOKIO松岡昌宏が主演だった『玻璃ノ薔薇(がらすのばら)』というゲームを思い出した(さすがにあちらよりは、こちらのほうが色々と進んでいる)。

 謎解きの難易度は、簡単なのもあれば難しいのもあるがほぼ全部フェアシナリオの根幹中の根幹である、とあるギミックに実写ならではのカラクリを用いているというのが評価点。(以下、伏せ字)探偵役であるとプレイヤーに思わせていた如水を、本当に男であるかのように思わせるトリックが秀逸。その反面、真犯人の赤椿が誰かについては、割りと簡単に分かるのが難点。(以上)

 あとは2章の犯人が、すごくカッコいい。疑われる前の何も知らない第三者のように振る舞う善良さ、容疑者が絞られてきてこの人しかいないとなったときの堂々とした態度、決定的な証拠を突きつけられてからも毅然としている様、この一連の表情そして声の微妙な変化の違いが、実写での役者の演技も相まって、「美しい」。それくらい2章の犯人の演技は素晴らしい。

 あと何気に第3章での探偵役の「怒り」が好きだ。簡単に言えば、「殺人を犯した者が自己満足のために自分が殺した人間を弔おうとする行為の傲慢さ」への批判。これがレトロチカ全体の黒幕とその行為に対してもクリティカルにヒットすると私は思っていて、もろもろの演出とかもそういうふうに受け止めている*2。そういう意味でも、隠れた?名作。

 でも一番このゲームで面白いというか、笑うのは声優の梶裕貴(実写)。異論は認めない。

 

 余談なのだが。2021年にテイルズオブアライズをプレイしていて、「作中当初提示された理想が、実はみんなが考えていたものとは逆の意図から生まれた」「それでも、その理想で救われた人もいた」というのがあって*3プレイヤーの持つ情報とゲーム内の情報の落差をいかにうまく活用するかが、今後のシナリオとかでもトレンドなのかもしれない、と思った

 

死噛~シビトマギレ~

 

 

 今年はいろいろ辛いこともあったけど待ち望んだゲームをプレイできて、満足。

 

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 死噛というより、死印にはじまるシリーズがどういうものか。私は、理不尽を撒き散らす怪異に対してどこまで歩み寄れるかプレイヤーが試されてるのだと思っている

 死印にしろNGにしろ、そして死噛にしろ、怪異のほとんどは同情できる理由だったり背景があったり何なら犠牲者だったりする。それでも今の彼ら・彼女らは生きてる人間を脅かして命まで奪うこともある、そういう存在をもはや慈悲なしとするのも十分正しいのだが、このシリーズは他ならぬプレイヤーに対してそれでいいのか?と言ってくるようなゲームだ。

 死噛の黒幕はそのギリギリのラインにある怪異で、人によっては同情なしとなっても全然不思議ではない。実際主人公も、そこに至るまでの境遇には哀れみを向けつつも、行ったことに対しては許されるべきではない、としている。それでも、主人公は他者を救おうと動く――この他者が、人も怪異も両方であるというのがこのシリーズを他と一線を画するものとする所以なのかな、と思う。

 

 

 夜廻三なんかもそうだし、レトロチカもそうで、何なら2021年に読んだ本なんかもそうだったが、「理不尽を前にしてお前はどうする?」「お前は目の前の理不尽を受け入れて、それでも赦すことができるのか?」という問いかけを、自分は読み解くことが多い。

 

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ポケットモンスター(新無印)

 毎話毎話しっかり見ていたわけでもないが、触れておきたかった。

 マスターズ・トーナメントに入ってからは、バトルの作画・演出、実際の対戦と展開、対戦カードやバトル形式なども含めていろいろと不満が出されることも多く、実際はそれはその通りだと思う。

 ただ、サトシとダンデの戦いが決着する132話ファイナルⅣ「相棒」でのピカチュウリザードンは文句をつけるところがない良い話だったと心から思う。

 劇場版を思わせる作画。でんこうせっかリザードンに突撃する、ピカチュウアイアンテールを受け止めるリザードンだいもんじをエレキネットで躱すピカチュウエアスラッシュ連打をアイアンテールで迎撃するピカチュウだいもんじに被弾してしまい、戦闘不能を予感させてからの……。

アニメ ポケットモンスター132話ファイナルⅣ「相棒」より

 

 サトシとピカチュウのはじめての出会いの回想から、ゼニガメフシギダネリザードンバタフリーピジョットが声をかけに来る。この流れで、涙腺が刺激され、その後歴代のサトシの手持ちが激励をというので、感極まってしまった。復活したピカチュウとサトシの気合から、「めざせポケモンマスター」が流れてお互いクライマックスに向けて最後の一撃を放つ……アニメに求めるものはこれだ、という他ない。

 圧倒的な強さを持つチャンピオンとそのエース、そんなコンビに挑むサトシとピカチュウ。壁となる存在に求める圧倒的な強さと威容、挑戦する側のサトシとピカチュウがそれにどう立ち向かうのか、視聴者が求めるものはこれだと言わんばかりのまさしく最高の映像だった。

 惜しむらくは、このレベルの戦いをマスターズ・トーナメントのすべての試合で見たかったということ。トーナメント形式ではなく、総当たり戦ならとか、どうせなら6vs6のフルバトルでトップクラスのバトルや駆け引きを見たいとか、過去のポケモンを使って歴代のチャンピオンに強さと成長を見せるサトシが見たかった、新無印全体を見てもいろいろとあるが、特にせっかくの花澤香菜ヒロインをうまく使えてなかったなぁ……と心残りが多くある。

 

 1月からはサトシの最終章とのことで、ああ終わるんだなぁ……という寂しい気持ちがいっぱいだけど、楽しみ。

 

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ブレイクブレイド完結

https://comic-meteor.jp/breakblade/

 今年は、ブレイクブレイドが完結した。今でも覚えているのが、ちょうど2010年~2011年、自分が高校生だった頃、ブレイクブレイドの劇場アニメを見てこの作品にハマったこと。単行本を買って周りの友達に勧めたこと。友人もハマって、何度も何度も盛り上がったこと。

 それから高校を卒業して大学に進学して、それから学部も卒業するくらいの頃。ブレイクブレイドも移籍とかWeb連載とかで色々ありつつも、続いていったわけなのだが、ある時からだんだんと掲載ペースが落ちていって、単行本もだんだん出なくなっていった。それでも新刊が出るたびに、待った甲斐はあると思うだけの面白さはあった。

 ここ2~3年は、なんとなく「打ち切り」という形での終わりの可能性というのは念頭にあったものの、しかし「さすがにそれはないだろう」というのが正直なところだった。いくら掲載ペースが落ちたとはいえ、まだまだ物語はここからなのだし、ここ数年やっているアッサム篇は、本編の途中にあるいわばサブストーリー。さすがにこのタイミングで終わるのはいろいろな意味であり得ない、と。

 けれど世の中というのは、得てしてそういう悪い予想もしくは冷静な判断の結果想定される可能性の方が当たるもの。

 

 正直に言えば、このまま中途半端にダラダラ続いたまま何かの事態が生じて未完のまま終わるよりはずっといい終わり方はしたと思う。未完の名作よりも、中途半端・消化不良・竜頭蛇尾で終わった作品のほうが私はいいと思う。だが、それとは別にブレイクブレイドのこの終わり方には、ただただ残念だというほかない。

 

 高校生の頃の自分が惹かれたのは、劇場アニメで見たロボットの躍動感ある動き、石英を動力とした技術や多様な国家間の勢力争いといった作品の設定・世界観、そして何よりもこの作品が描く人の心の機微というものが、これ以上ないほど輝かしかったからだ。

 この作品を読めば、若い頃親友だったライガット・ホズル・シギュン・ゼスの4人が大人になったしがらみを前にして、昔のようになれない・昔のように戻りたいと願う心の葛藤が描かれると分かる。それだけでなく、戦争を前にして個人の心や立場がいいようにされてしまい、それでも足掻こうとする人間の営為というものが、いとも簡単に踏みにじられてしまう様が描かれる。けれども、作中のクレオやライガットのように運命を変えようと闘う姿に、私は強いメッセージ性を見出した。

 そして、一番好きなのはジルグとライガットの行く末だった。得体の知れないサイコパスに見えたジルグ。そんな彼がライガットを庇って処刑された理由が、ライガットに自分にはないものを見出していて、最期の最期に自分には決してできなかったこと「父親のバルド将軍への親孝行」を吐露する――すべてが終わった後の回想という形で明かされるこのエピソードは、それまでのジルグの行動に納得を与えると共に、本当の意味でジルグが死んでしまったことを読者とライガットに追体験させる演出だった。

 他人には理解のできない怪物のように見えていたジルグ。実の父親さえ、クリシュナの損害になるなら彼の死を当然と受け止めていた。そんなジルグが、できなかったこと/やりたかったこと/願っていたことが親孝行というのが、この作品にしばしばあったすれ違いの最たるものなわけで。ライガットとバルド将軍が親しげに話すのを遠くから意味深に見つめていたのは、周りの人間が思っていたような胡乱な理由などではなかったのかもしれない……そう思わせるほど、この回想は読み手に強く訴えかけてくる。

 当のライガットは、ジルグの死後から明らかに精神の均衡を崩し始めてボルキュス戦に行くわけだが。ボルキュスの命をバルド将軍に委ねる→ボルキュスがジルグがライガットなどではないことを知っていて処刑したと知る→憎しみのままボルキュスをコックピットごと刃を突き立てて殺害する→狂気的な笑みを浮かべてジルグに復讐の達成を宣言する→言葉を失う周囲に対して、ライガットは魂が抜けたように泣きながら力尽きる……。

 この一連の流れは、一切の間を置かずになされる急展開なので、読者は初見では驚き、次に作中のその他大勢と同様ライガットにドン引き、その後ライガットの心理の変遷に思いを馳せる……という過程を辿る。敢えて登場人物たちの心理について説明などせず、表情や仕草で説明し想像させていて本当に上手い。おまけに、これ1巻の頃の戦争なんてまっぴら御免となっていたライガットとはもう別人のようになってしまっているシーンでもある。ホズルやシギュンあるいはその他の大勢からすると、いくらボルキュスが悪辣で向こうが煽ってきたとはいえ戦闘の決着がついて、無抵抗の人間をゴーレムの大剣で貫いて惨殺するというのは、戦争の狂気に飲まれている以外の何物でもない。直前に国益とかいろいろ言っていたにもかかわらず、ライガットがボルキュスを殺害したことを周りは一切責めていない(少なくとも作中でそういうシーンが描かれなかった)というのは、もうライガットの精神状態が限界だと誰が見ても明らかだったからとしか言いようがない。

 それだけに、アニメ版でこれを省いたのは本当に解せない。劇場版は無理でもテレビ放映版はやるべきだった。

 

 よくブレイクブレイドはボルキュス戦で終わっておけば……せめて第1部完としておけば……そんな感想を聞くことがある。私自身、半分どころか8割位同意する。少なくとも、ここで一度終わっておけば、今ブレイクブレイドがアッサム篇の終わりと共に本編「完結」したときのダメージはより小さかっただろうと思うから。

 ただライガットの人生からいえば、そこからが本番だったのだ。石英を操れない無能力者のライガットが、デルフィングを通して「英雄」になる。それはライガットの手が血に塗れることではあるし戦争の悲劇を嫌になるくらい体験することになったけれども、バルド将軍という理解者には会えて、ナルヴィ隊長らにも会えた。友人のホズルとシギュンを守ることができた。ゼスともきっとまた分かり会えるかもしれないとの希望を持てた。そしてジルグというゴーレムを動かせる自分だから出会えた人間がいた。

 ライガットにとってジルグとは、初めて出会ったゴーレム乗りとして対等以上の人間で、そんな自分以上の存在であった彼が自分を庇って死ぬ。しかもその理由は、親孝行――父親が無能力者のライガットとその弟を育てるためにだけ生きて死んだライガットにとってこれ以上無いほど運命の悪意を思わせる。

 ボルキュス戦後のライガットは、どんどんシグルっぽくなるのだが、これはもう誰がどう見ても代償行為。「俺がジルグの代わりに死ねばよかった」「ジルグならこんなときこうする」の論理。挙句の果てには、ジルグの幻影まで見る。ライガットの幻影としてのジルグは非常に柔らかく宥和的で美化されているのも、計算なのか、作画や連載年数のせいなのかもう分からないレベル。

 ライガットがそんな段階になってようやくシギュンとの関係が進展し、代わりにゼストの溝は深まる……。メインストーリーからすれば本当にここから面白くなるところでブレイクブレイドは終わってしまった。

 アッサム篇はそれ単体で見れば、決して悪い内容ではなかったし、二人のプレデリカの結末には引っ張っただけの面白さがあったと思う。けれども、それはサブストーリー・サブエピソードとしての面白さで、やはり読者としては、本編が見たかった。

 ライガットの精神状態も含めた行く末。シギュンの運命。ホズルはどうなるのか。ゼストはどう決着をつけるのか。クリシュナとアテネスの戦争はどうなるのか。序盤に意味深に出てきた宗教国家オーランドはどう絡むのか。クレオたちは。ナルヴィは。デルフィングやこの世界の秘密は……etc. 読者が今までブレイクブレイドを読んでいたのは、そこに惹かれたからだ。

 先程も述べたように、このままズルズル引き伸ばして未完のまま終わるよりは、何らかの形で終わらせるというのは私はアリだと思う。だが、それでも、この終わり方には思うところはある。誇張ではなく、ここ10年以上は続きを求め待ち続けていた作品であった*4。比喩抜きで人生の一部だった。それが唐突に終わる。それも含めて人生なのかもしれないが、そう割り切れないのもまた人生だ。

 

おわりに

 サトシが卒業したり、10年以上は追っていた漫画が終わったりとなんだか一つの時代の終わりを迎えるような2022年。時勢が時勢だからか、亡くなる方の訃報とかを見てもこれまで見知った人、今後も生き続けると思っていた人の名前を見つけて、意気消沈することもしばしば。

 特に、遊戯王の生みの親である高橋和希氏が海難事故で亡くなったことは、時折思い出すたびに悲しくなる。作者本人によるコンテンツを見ることは叶わなくなり、例えば原作遊戯王の記憶編を完全な形で見ることは不可能になったわけで。そういう事実が、本当に堪える。

 

 しかし月日が過ぎればまた新しいものと出会うこともあるわけで。

 

 

 晴天の霹靂と言う他ないが、かんぱに☆ガールズも復活するようだ。ブロックチェーンゲームという形態もそうだが、正直不安なことしかないが、まぁ一度無くしたものとまた出会えることもあるかもしれないと教えてくれただけで、今年も悪いことばかりではないな、と思える。

*1:当然ながらゲーム内でのスクリーンショット撮影が禁止されている。

*2:ネタバレ込の感想。

@bitter_snowfallさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

*3:アライズのメナンシア編について、ナタバレ込みの感想。@bitter_snowfallさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

*4:ところで同じような作品として、パンプキン・シザーズがあるのだがこちらは……